本日(12月2日)のNHK 「新シルクロード 激動の大地を行く」 のシリーズ第7集は 「祈り 響く道」 であった。これで新シルクロードシリーズは終わりになる。

本日の舞台は、中国から地中海へと続くシルクロードの 「最後の100km」、シリアとレバノンである。様々な宗教が共存する 「宗教のモザイク地帯」 において、宗教対立が原因で犠牲となった息子の両親などが悲哀を込めて取材されていた。テーマは 「祈りが生む戦火」 である。

キリスト教を守り続けてきた隠れ里マールーラ村の取材ではイスラムへの憎しみが取材され、キリスト教、スンニ派、シーア派が対立するベイルートでは、対立する宗派への憎しみが取材されていた。紛争の原因はあたかも宗教であるかの如く。 

違うと思う。紛争の原因は宗教ではなく、宗教を大義名分として他国へ侵略した大国(為政者)の思惑によるものである。相手を異教徒と決めつけ、自分たちの神のみが唯一正しいと信じ込ませれば、国民は納得し、兵士は敵を殺しやすくなる。 

取材されたレバノンの首都ベイルートは、かつては 「中東のパリ」 と言われ美しく平和な時代があった。その頃は 「宗教のモザイク地帯」 であっても人々は隣人を信じ平和に暮らしていた。宗教の違いは紛争の原因とはならなかった。現在でも宗教のモザイク地帯で平和な地域は世界に数多く存在する。 

レバノン国内のヒズボラとスンニ派の対立は、アメリカに後押しされたイスラエルがパレスチナを攻撃し、それに対してイスラム圏の大国がそれぞれの宗派の後押しを行い、それらが複雑に絡んで紛争を生み出しているのだと思う。

同様に、過去放映された 「新シルクロードシリーズ」 の 「祖国を追われた民族の悲劇」 は宗教対立によるものではなく、大国が「国益」の大義名分のもとで領土拡張、資源確保を行ってきたことの結果である。

このような意味で、「紛争の原因は宗教対立」 との雰囲気で番組が構成されたことに違和感を持つ。 

番組の最後で、息子を戦乱で亡くした父親が、地域の子供に語った言葉  「私は内戦の時たくさんの人を殺した。その時は自分の神が全てだと信じていた。みんなが宗教の争いに巻き込まれたとき、今横にいる友達の顔を思い出して欲しい。互いに一人の人間として接すれば、宗教を理由に殺し合うことはないはずだ。」  が印象的であった。 

何回も指摘したが、「新シルクロードシリーズ」 で取材された地域の紛争はすべて現在現実に続いている紛争であり、遠い過去の話ではない。世界が真剣に考えないとならない問題である。日本のシルクロードのブームに便乗して、遠い昔の歴史のロマンと重ね合わせるのは合点が行かない。それとも視聴率を稼ぐ手法なのであろうか。また、現実の悲惨な場面に、哀愁に富んだヨーヨー・マの音楽を重ねるのも不自然と思う。 

蛇足だが、私は最近アフリカ地中海沿岸の国「リビア」のローマ帝国時代の遺跡群を訪れた。現在「リビア」は平和な国だが、古代のフェニキアに始まり、ギリシャ、ローマ帝国、バンダル、ビザンチン、アラブ諸王朝、オスマントルコ、イタリアなど次々に支配国が変わり、その都度悲惨な戦争があり、宗教も文化も入れ変わった。これら時代の変わり目の戦いは、その当時の大国の 「領土拡張欲」 と 「資源獲得欲」 が原因である。宗教対立が紛争の原因と説明することも可能であるが、それは視野が狭い。 

この度、リビアの歴史を勉強し、その古代遺跡を実際に観光した経験から上述の本日の番組の感想が生まれた。